谷津干潟から見る、日本に現存する湿地帯を知る

谷津干潟から見る、日本に現存する湿地帯を知る

保存されるまでの経緯

最悪の手前まで進んでいた

今でこそ世界に認められた湿地帯としての地位を有している谷津干潟ですが、ここ数年でも絶えない問題がいくらか出てきている。代表的なものといえば何と言ってもゴミ問題だ、これこそ海岸沿いにはよくある話ですが、モラルの欠けた人たちにより本来持ち帰らなければならないゴミをそのままにして放置する人は絶えない。ゴミがあれば当然その分だけ環境的に問題となる、問題が大きくなればなるほどこの干潟において棲息する水鳥を始めとした生態系へのダメージはでかくなるばかりだ。近隣住民や自然保護団体による保存・保全活動は営まれていますが、一進一退の攻防とばかりに歯がゆい状況が継続している。環境保全を重視したい立場の人々にとっては中々耐え忍び難い状況といえるでしょう。

それでもかつて、1960年代から1990年代前半頃までと比べればまだ状況はマシといえるかもしれません。今でこそこの谷津干潟は国際的な意味でその立場を守っていかなくてはならない場所となっていますが、埋め立て計画が出ていた時代において価値云々以前の問題でした。それこそ千葉県として財政基盤を整えるために、企業が推し進める計画を承認していき、対して当時漁師として活動していた人々は強い反発心を見せる。しかしそれも高額報奨金という買収により谷津干潟も埋め立ててしまおうという考えを人々は持っていくようになりましたが、県はある点を見逃していた。それは谷津干潟が県の所有物ではなく、国が保有するものだったのです。

そのため国に対して県は干潟買い取りの払い下げを要求し、習志野市としても埋め立てに賛同するようになる。また当時の地元民としても大半の人が埋め立てに賛成していたという。ここまで見ても分かるように、谷津干潟が保存・保全までされるようになった過程はまさに苦難の連続だったのです。

水鳥を見に行こう

小規模な団体としての活動が輪を広げ

谷津干潟を含んだ海岸線25km、東京ドームの3,200倍に相当する超大規模な埋め立て計画は県・市・そして国や市民までも支援する一大政策として期待されていました。ただ市民としては干潟へ投棄されたゴミによる悪臭被害から解放されたいという人が多かったため、開発そのものに協力的だったとはいえない部分だ。ですが9割以上の賛成を得ている中で、何とか干潟を守るために自然保護団体が立ち上がるのです。そしてこの団体とともに活動し、谷津干潟が現在までに残されるようになるために影響を与えたのが『森田三郎』氏の存在だ。団体の一員として活動しながら干潟へ投棄されたゴミを懸命に拾い続け、国と県と市という三重苦に押されながらも保存とその重要性を唱えていきましたが、その頃の谷津干潟はヘドロまみれでとてもではないがまともな生態系が住めるような環境ではなかったと言われています。

小規模の反対勢により中々進まない開発工事にやきもきした住民も、邪魔をしている団体に対して罵詈雑言といった具合に非難中傷の嵐を刃として向けていった。しかしそれでも森田氏を始めとする団体は止まらず、地道な活動を持ってして地元住民に干潟が有している価値と存在、重要性を唱えていったのです。

こうした活動はおよそ10年にも及んだ。計画が立案されたのが1970年代、それから実に苦しい戦いを続けていきましたが、ある時期から小さな変化をきたす。

地元民の賛同、干潟の希少性

反対されながらも活動を続けていくと、ある時期から地元の人々が団体に協力する形でゴミ拾いを行うようになっていった。それは輪となって広がり、やがて近隣に住まう人々が積極的に保全を訴えるようになるまで大きくなっていく。ゴミを拾っていくことにより干潟の環境システムも徐々に改善されていき、やがてあるべき生態系を完全に取り戻すまでには至りませんでしたが、それでも先述で話したように野鳥たちが棲息するまで回復していったのです。

こうした中で県や市、そして国はその有り様を受け入れるしかありませんでした。開発をしようと意気込みを見せていた企業にすれば大誤算だったはず、その後環境系の再生にともなって国は態度を一変、1988年に谷津干潟を『国の鳥獣保護区』として正式に指定する決断を下すのでした。この決定により県と市、さらに一部企業の計画は完全に破綻する事となり、干潟は守られたのです。

圧倒的な戦力差から始まった保護活動が、少しずつ理解を得ながら保存していく動きへと拡大していったという事例としてこれほどの逆転劇もないだろう。一度決まった計画が根本的に覆ったという意味でも、谷津干潟という干潟の歴史を語る上ではある意味重要な部分となっている。

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ラムサール条約に認定

自然保護団体の活動により、谷津干潟は国際的な立場からも注目を集めるようになる。ただでさえ国と行政を敵に回しておきながら、最終的に自然保護団体が勝ったという数少ない事例も相まって、谷津干潟は業界にとっては注目の的だったと見れる。さらに湿地帯としての価値は自然界において稀有なものとして、1993年にはラムサール条約により重要登録湿地として認定されるまでに至った。

たった一つの活動から始まった干潟保護がここまで大事になるとはさすがに誰も想像していなかったはずだが、やれば何でもできるのだということも証明したといえるでしょう。